トータルケアサロン結ができるまで その2
記憶をさかのぼる限り、
私は小学校低学年の頃から体温が低く常に35度台。
だから、風邪などを引いて熱が微熱であってもとても苦しかった記憶があります。
そのくせ滅多に高熱になることはなく、
なる時は39度近くまで上がるような感じでした。
その当時を母曰く、
幼稚園の頃から体が弱く、良く熱を出して園を休む子で、
お菓子ばかりを好んで、お前はお菓子で育ったようなものだ、と。
今考えれば当然のことですが(笑)
実家は昔から続く兼業農家で貧しく、
また自身が病弱だった母は栄養や食、健康について学び、
母なりにいろいろ試行錯誤してやってくれていました。
それでも、
低体温で、冷え性。
毎年のしもやけ。
腰痛。
お腹が弱く、すぐこわす。
副鼻腔炎で常に鼻づまり、鼻水。
肌が弱くて乾燥肌。
だからシャンプーやボディソープが何を使ってもあわない。
それが当り前な子供でした。
特に小学校3年か4年生の夏に
麦茶をあまり作らない年があり、頂き物のカルピスを
麦茶代わりに飲んでいたらひと夏であっという間におデブちゃんの仲間入り。
常に親戚からも、あら~、体格がいいわねぇと言われていました(^_^;)
中学に入っても、高校に入っても体質は変わらず
相変わらず、甘い物、炭水化物、食べることが大好きだったため
ずっと体調はいつもなんだかすっきりしない。
進路は当然食べることも作ることも好きだったので
製菓学校に行くか、母のすすめである栄養士になる道の2択しかありませんでした。
結局大学に受かったので、管理栄養士専攻科のある四大に進学し、
卒業後、国家試験を受け管理栄養士になりました。
その頃、小学校の頃からずっと副鼻腔炎で通院していた耳鼻科。
一向に良くなる気配はなく、むしろ副鼻腔炎が悪化し
この頃には匂いや味覚もなくなってきて医師から手術をすすめられました。
しかし、したからといって治るわけでなく、
再発したらまた手術とも・・・。
母は手術には反対で、病院以外で体質改善をした方が良いと
その時に知り合いのエネルギーワークと整体をやってくれる先生に
月に1~2回のペースで通うようになりました。
この辺りから、人生の方向が変わり始めます・・・。(続)