「正しさ」と「幸せ」は、必ずしも両立しない
「正しさ」と「幸せ」は、必ずしも両立しない…。
つくづく、そう思います。
昔、あるクライアントがこんなふうにおっしゃていました。
...「私は、生活リズムもちゃんと気を付けているし、
食事も玄米菜食、運動も適度にやっています。
他人を傷つけないよう、心配りは欠かさないし…、
私のどこが、間違っているのでしょうか。
なぜ私が、こんな病気にならなければならないのでしょうか」
この女性は、まだ30代前半で、
緑内障と胃潰瘍を患っていらっしゃいました。
病院に行くことをできるだけ避けようとして、
ぎりぎりまで、胃の痛みに耐えるので、
胃潰瘍も繰り返し起こしている、とのことでした。
僕のところへ相談にいらっしゃったのも、
僕が「自然治癒力」をキーワードにしているから。
でもまさか、当の僕から、ちゃんと病院に行くことを
薦められるとは思ってもみなかったようです。
「なぜですか?むやみに薬を飲んだり、胃カメラなんかで
胃壁を傷つけたりしたくはないんです…
人間は、自然治癒力を持っているのでしょう?
だったら病院には最低限の検査だけを受けるだけで
いいじゃないですか」
※ ※ ※
…たしかに、一理あります。
でもね、あなたのその行動の根拠はどこから?
ということが大切なのです。
病院に行くことは、間違っている!と考えての行動なら、
それは、正しいか、間違いか、を根拠にしている。
これは、この女性にとっての
【正しさの証明行動】のようになっていて、
カラダに必要か、必要でないか、
という視点が、すっぽり抜け落ちているのです。
せっかくの玄米も菜食も、そして適度な運動も、
正しいか正しくないかでやっていると、
逆に、肉や脂を食べてしまった時、
必要以上に自分を責めてしまうことにもなりかねない。
「会社の忘年会で、食べ過ぎたことが原因だと思うんです。
やっぱりアレでしょ。ああいう場で、私だけ豆腐や野菜を
食べてばかりというわけにはいかないから…」
「そうですね、…で、その時のお肉はおいしかったですか?」
「え?おいしかったか、なんて、そんなの考えませんよ」
「なぜ?」
「なぜって……。」
「食事は口とおなかも使いますからね。
頭で食事ばかりしていたら、なんだかほら、
おいしいって気持ちも薄れるでしょ」
「でも、肉ばかり食べて、人を批判したり、
攻撃的になったりしたくないんです」
「え?肉ばかり食べると、そうなるんですか?」
「いえ、○○という本にそう書いてあったので…」
「ああ、その本なら僕も読みましたよ。たしか、
その本には、『そういう傾向がみられる』というふうに
書いてありました。でも、それがあなたにもばっちり
当てはまるとは、限らないですよね」
「…。」
※ ※ ※
結局、この女性の主張は、
正しく生きている私がこんなに病気に苦しんで、
どうして悪徳政治家や、不真面目に生きている輩が、
のうのうと健康でいられるのか…
世の中、不公平じゃないですか、
というものでした。
正しく生きているのに、幸せになれない…
どうして…?
うーむ、
なるほど難しいテーゼです。
でも、自分の生き方に「正しさ」ばかり課していると、
それを証明しようと、カラダには無理に力が入るし、
他人の間違いにも、寛容になれないですね。
寛容になれないでいると、なんだか
周囲がストレスだらけになってしまいます。
この女性…、
他人を批判したくなくて肉食を避けてきたのに、
いま自分が話していることが、他人や周囲の批判ばかりだ、
ということに気づいて、「はっ」としたようでした。
「病院に行くことも、自然治癒力を引き出すことも、
あなたにとって、あなたが幸せになるための方法ですよね」
「はい…」
※ ※ ※
正しいことは、もちろん大切だけど、
それに縛られて、すぐ足元に落ちている「幸せ」に
気づけないなら、その『正しさ』も、あなたにとっては
ストレスなのかも…。
そのストレスで病気になってしまっては、
元も子もないですよね。
あなたの『正しさ』が、
あなたの『幸せ』を邪魔をしているようなら、
そこはやっぱり、断捨離が必要。
あなたが、ごきげんでいることが、
何よりも、優先されることなのですから。
※ ※ ※
PS
現代医学のカラダ観?伝統医療カラダ観?
どちらが正しいかなんてありません。
この両方を統合することで現代人の新しいカラダ観を創造します。
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おのころ心平さんの記事から。
体に良いことしようとすると一度ははまる正しさとの葛藤。
正しいことだけを追求すると
私は間違ってないのに!って傲慢になってしまうのです。
バッチ博士によれば傲慢もまた病の原因の1つなんです。
苦しいとき、病が癒えないときは
今の考え方を見直すときですよ(*^^*)